赤鬼青鬼 10
火の中

 昨日はアキちゃんと帰るために、唯子ちゃんを先に帰しちゃったので、多分唯子ちゃんの機嫌は悪い。いつも不機嫌そうな態度の唯子ちゃんだから、今日の気分がどうかなんていまいちよく分からないんだけど……とにかく唯子ちゃんの機嫌を直すために、私はなにかプレゼントをあげようと思った。まあ、プレゼントなんて急に貰っても困るだろうから、パン。そう、パンだね、唯子ちゃんはああ見えて菓子パンが大好きなのだ。そういうとこホントに可愛い。この学校が大学付属だからなのか、学内に大学生協のコンビニがある。昼休みになると生徒がそこで弁当やパンなどを買うので、狭い店内が満員電車みたいにすし詰めになる。今日もやっぱり例外じゃなくって、ただいま私は押し寿司のお米になろうとしております。といっても、お米になれればまだいい方で、店が狭すぎて、外に並ばないと店に入ることも出来ない。私は今店の外に並んでいるけど、私の前にはまだ十人以上が並んでる。店は遠い。
 そこで私はクリームパンのことを思う。今日ここに来た目的はクリームパン。この生協のパンは、近所のパン屋から仕入れていて、昼には焼きたてのパンが並んでそれがとてもおいしいと評判なのだ。その中でも唯子ちゃんはクリームパンが大好物なのだ。まだ温かくて香ばしいパン生地にカスタードクリームがとろりとして、とてもおいしいあのクリームパン。だけどクリームパンはいつも十個しか仕入れないので、売り切れてしまうことも多い。果たして私はクリームパンが買えるのだろうか。あのクリームパンさえあれば親密度アップ間違いなしなのに。

 ……しかし、そこで私は、自分がクリームパンを買えないことに気づいた。別に、財布を忘れたわけじゃないよ。棚にもまだクリームパンは残ってる。だけど、私は買えない。
 店の中と外は沢山の生徒でごった返している。店内で商品を選んでいる人、まだ店内に入れずに並んでいる人……。誰がクリームパンを買うのかな、と思って眺めていたら、クリームパンを買いたい人は赤く光っていたので、すぐに見分けがついた。買わない人は青く光っている。赤く光ってる人が十人以上いたので、私はきっと買えない。
 そう思って、人が流れていく様を見ていたら、さっき赤くなった人たちは確かにクリームパンを買っていった。私が店内に入る頃、もうクリームパンは残っていなかった。仕方なく私は一個だけ残っていたメロンパンを買って教室に戻る。焼きたてのメロンパンはまだ温かくておいしそう。唯子ちゃんはメロンパンも好きだからこれでもいいよね。

 教室に入るなり、カレー臭かった。うわ、なんでカレー? 誰かお弁当にカレーでも入れてきたのかな、と思ったら、唯子ちゃんが食べていたのがカップヌードルのカレー味だった。さすがに私も驚く。
「教室でカップラーメン食べてる人はじめて見たよ……」
 お湯をどこから調達したんだろうか。しかもよりによってカレー味って。教室中がカレーの匂いで満たされてる。さっきから誰か教室に入ってくると、反射的に「うあカレーくさっ」と言って、元凶が唯子ちゃんだと知って、それ以上何も言えなくて黙ってしまう。
「やっぱり水筒のお湯じゃ駄目だね。アルデンテ手前って感じ」唯子ちゃんは不満そうだった。しかしさっきから教室中の視線が痛い。どうしてみんなを敵に回すようなことばっかりするんだろう、この子は……。
「そうそう唯子ちゃん、いいものあげるよっ」私は買ってきたメロンパンを差し出す。
「はあ? なにこれ」思いっきり訝る唯子ちゃん。メロンパンを手にとって矯めつ眇めつ。別に毒とか入ってないから……。
「もう。大丈夫だよーさっき買ってきたばっかだから。まだちょっと温かいでしょ?」
「いや……ていうか、なんでこんなこと?」
「だって、その、昨日の……」なんだか言いにくくって、言葉がつっかえてしまう。
「あーあれね」唯子ちゃんはメロンパンにかじりつく。「気にしんでいいって別に」
 よかった……。その言葉で私の心の鬱がちょっと晴れる。
「でもあんたさー、あんまりあたしとつるんでると、あとで困るかもよ」
「え?」
「だって最近とくに風あたり厳しいしねーあたし。いやマジでさ。ほら見てこれ」
 唯子ちゃんは足を上げてみせる。私はそれを見て凍り付く。
 白いはずの上履き一面に、黒い模様。よく見るとそれは、マジックで書き込まれた無数の落書きであった。『死ね』とか『ヤリマン』とか『臭いんだよ』とか、そういう無内容な中傷文句が。書き殴って。殴って。私、涙が。
「ははっ。なかなか。おしゃれに仕上がってるっしょコレ。よくファックだのビッチだの書いてある柄がキャップとかであるけどさ、日本語にするとこういう感じなんだろーねアレって。外人にはウケるかもねこれ」唯子ちゃんは皮肉っぽく笑った。「おいおい泣くなよ。このくらい気になんねーしあたし。だからさ、……おいおい、泣くなって。恥ずかしいから、な?」

 私のだいすきな唯子ちゃんに。
 一体誰がこんなことをした? 私の唯子ちゃんに。私だけの唯子ちゃんに!

 わたしはアタマがちょっとおかしくなりそうだった。
 陰気が立ちこめる教室。姿の見えない敵。この中の誰かが犯人なのだ。そのはずなのに……誰もが普段通りの顔をしていて。心の中に鬼を隠している。姿の見えない、腐った鬼の心を。

 みんないい人?
 みんな仲良くなればいい?
 はっ。クソ食らえだ。
 唯子ちゃんをいじめる奴は全員私が殺す。

 犯人は誰だ。
 そう……私には分かる。今赤く光っている奴が犯人のはずだ。私は教室中を見渡す、ぐる、り、と……しかし、青。昼休みの教室にいる十数名は、全員青色だった。
「……、おい! 鞘!」
 唯子ちゃん。私のいとしい唯子ちゃんの顔が、目の前に。視界が、ぐらぐら、どうして? あ、唯子ちゃんの手、私の肩を揺らして。
「危ねえなー、お前今、完全にブッ飛んでたぞ、目が」
 唯子ちゃんの声で、私は少しだけ正気に返る。だけどまだ心臓は高鳴ったままだった。頭の中には人を殺す具体的な方法が二三残ったままだった。ちょっと吐き気がした。回転椅子に乗ってぐるぐる回って遊んでいたら酔った、みたいな気持ち悪さ。回転酔い。きっとアタマが急に回り出したせいで酔ったんだ。
「唯子ちゃん、私……、うっ」
 私が嘔吐しかけて口を押さえたのを見ると、唯子ちゃんはすぐに私を教室から連れ出してくれる。私の肩を抱いて早足で歩く唯子ちゃん。わたしのだいすきな。
 トイレまで連れて行ってもらって、私は吐こうとするけど、出なくって、唯子ちゃんに背中をさすってもらったら結構楽になった。
「まだ顔青いな。今日は早退するか?」
「ううん、大丈夫だよ。ありがと……」本当はこのまま帰りたいけど、唯子ちゃんと……でもそういうわけにもいかないよね。
「ちっ。どさくさに紛れてあたしも帰れると思ったのにな」唯子ちゃんは冗談っぽく笑った。「ははは。嘘嘘。教室戻ろうぜ」
「や、やっぱり帰ろう!」そういうことなら話は別だ。「帰ろうよ、一緒に……」