赤鬼青鬼 3

故意

 カラオケといえば、私、バイトをすることになった。高校二年生にもなってようやく初めてのアルバイト。松田龍平をそのまま中年にしたような、ストライプのスーツが似合うさわやかなお兄さん、のようなおじさんに、名古屋駅で声をかけられて、役者になった。私は役者になりました。この私が。

 私はいつものように名古屋駅前の、盲導犬募金や路上シンガー及びティッシュ配りとかナナちゃん人形が並ぶ通りを、制服で歩いていたら、「モデルに興味ない?」と言う声。私に向けられている声。振り向いてみれば割と整った顔。いやいや、かなり格好いいんじゃないですか? これは。ほう……なかなか。でもモデル? って言ったような、今。と、目を白黒させて私、若干挙動不審気味。愛親覚羅溥儀。似ているから並べてみた。
「モデルですか?」素っ頓狂な声を出してしまう私。「あなたモデルなんですか」
「違うよ。君がやるの」意味不明な私の発言に、さらりと笑顔で返す松田さん(仮)。
「私が?」
「そう。あなたが。どう? やってみない?」
 え? え? と混乱している間に、目の前の交差点の信号が変わり、何十人もの人が私と松田氏の周囲をどやどや流れていく。別に大阪人のセックスみたいにどや? どや? と言いながら歩いているわけではないけど。と思って、ちょっと笑いが顔に出そうになって、やばいやばい、深呼吸。吸って……吐いて。笑いはなんとか収まる。ふー……。
「何、どうしたの? 僕の顔そんなに面白い?」笑ったのすっかりバレてるしね。
「いえ、それほどでもないです……。あっ、じゃなくて、ええと……」
「ここじゃ何だから、どっか入って話そうか」慣れた感じの口調で、松田さんにスターバックスへと導かれる私。

「申し遅れちゃって悪いんだけど、僕こういうものです」
 松田さんが出した名刺には『(株)エンジョイマックス 代表取締役 旭川登』とあった。あれ? 松田じゃなかったっけ。って、それは自分で勝手に呼んでいただけだった。でも、写真入りの名刺もらっちゃった。これ、明日学校で唯子ちゃんに自慢しよっと。
「分かりやすく言うと、タレントやモデルの事務所やってるわけ。まあ、ジャンルは、手広くやってるからね、あんまり怪しまれちゃうとあれだから、最初にもうこっちの手の内明かしとくと、エッチなのもやってます。はい。あ、いえでも別にあなたに脱げ、って言ってる訳じゃないからその辺は安心してね」と早口で旭川さんは言った。
「はあ」相づちを打って、旭川さんの早口をちょっとずつ飲み込んでいく。ああ、もっとリスニングができたらなー、日本語の。私、早口ってあんまり聞き取れない。Hなの、って何だろう。
「でね、今探してる人材は、この四種類」旭川さんはA4の紙に印刷された資料を私に渡す。ほう。字なら私でも読めるよ。
「つっても、そのうち三種類はエッチ系のモデルだけどね」
 書類に目を通しながら私は言う。「そのHKって何をするんですか?」
「ん? エイチケー? まいいや。一応説明しとくと、今ね、インターネットでこういうサイトがいろいろあるわけ。って、最近の子なら、知ってるか」
 テーブルの上にどさどさと次々提示されるクリアファイルには、どれもこれも、女の人の裸が所狭しと並んだ、ホームページのプリントアウトが挟まっていた。
「うーわ凄いですねこれ。エロいですね」
「最近特にこういう素人のモデルが脱いだ写真や、男優さんとエッチしてる動画を集めたサイトが流行ってるんだよ。今こういうサイトが乱立してて、特にウチはギャラもいっぱい出せるけど、ま、やらないよね」
「う……そういうのは、ちょっと、やめときます」ノーと言える松島鞘。「他のもそんなんですか?」
「うん、あとは、ツーショットチャット、つって、まあパソコンのテレビ電話みたいなもんかな。それで、おうちで、パソコンのカメラに向かって、女の子が脱ぐ。それを会員の人がインターネットで見るの。それのモデルさんも募集中」
 うわあ。凄いホームページがあるんだなあ。
「あともう一つも似たような感じ」旭川さんは言った。「出会い系サイトの、言ってしまえばサクラなんだけど、メールレディじゃなくって、最近の出会い系は携帯で撮った写真載せるじゃない? それの写真モデルさん。あ、もちろん裸ね。まあこれ、ギャラ安いし、あんまりお勧めしないかな」
 よく分からないけど、何だかいろいろとよくなさそうだ。
「で、四つ目の、エッチじゃないやつ、ってどういうのですか?」
「これは、モデルっていうより、役者さんになるんだけどね。君、カラオケって好き?」突然に旭川さんは言う。
「えっ。はい。好きですよ。でも音痴なんです」
「はっはっは。歌は下手でもいいよ。カラオケってさ、歌が流れてるとき、テレビの画面に、いろいろ映像が流れるでしょ?」
「ああ! はいはい、流れます」
 カラオケには、必ず大きなテレビが置いてあって、歌を歌っている間、なんとそこには歌詞が表示される。カラオケするためには歌詞を覚えて行かなくても良いのだ。凄いよね、これってまだ知らない人、いると思うけど。で、画面には、そのアーティストにほんっのちょっとだけ似た人が、踊っていたり、歌詞に極めて若干関係のありそうな、無声の寸劇を繰り広げたりするのだ。カラオケに行ったことがある人なら分かると思うけど、あれってなかなか滑稽なものだ。しかも何回も歌っていると、同じ映像が出てくることがあることから、ほんの数種類の映像を使い回しているだけだということにも気づかされる。そういえば、ああいう映像に出てくる人って、どういう人たちなんだろう。有名なタレントってわけでもないし。
 旭川さんは続ける。「あのカラオケのビデオって、カラオケ会社が直接作るんじゃなくて、うちみたいな下請けに作らせるの」
「あっ、そうなんですか」
「そうそう。それでね、それに出てもらえる役者さんを探してるわけ。これなら健全でしょ?」

 そんなこんなで二つ返事、私のアルバイトは決定した。
 最初の撮影は、それから一週間後の日曜日だった。現場に集まって、ちょこっと撮影した。まあ、初めってことで、それ自体のお給料は出ないらしいけど。現場は、矢田川の河川敷だった。そこで待っていると、旭川さんが車でやってきて、さっそく撮影が始まった。
「あの……撮影って言っても、何をすればいいんでしょうか」と私が問うのは、私が間違えているのだろうか。私が旭川さんの早口をなにか聞き漏らしてしまったのだろうか。あまりに説明が無さ過ぎる。勧誘の次はいきなり撮影だなんて。でもそんな風に呆気にとられているうちに、撮影はすでに始まっていた。黒ーくてツヤツヤのドルガバっぽいワイルドなスーツを着た旭川さんは、ハンディカメラを私に向けてもう回していたのだ。
「動いて動いて!」と笑いながら旭川さんは言う。あ、そうか。カラオケの映像だと、アーティストの歌が流れるから私たちの声が入っても大丈夫なんだ。
「分かりました!」これはチャンス! と、内なる私があらぬスイッチを押してしまう。よっしゃあ! テンション上がる上がる。私はその場でトレンチコートを脱ぎ捨て、河原に落ちている木の板を集め始める。そして手頃な石の上にその板を積み重ね、空手家のポーズで構えてチョップを振り下ろした!
「せいや!」
 板は全然割れなかった。その代わり、私の手に木のささくれがちょっと刺さって血が出た。
「うう……」私はチョップの手を押さえてうずくまる。かなり手加減なしに振り下ろしたもんだから、痛みも私に容赦ない。
「おい、大丈夫か?」
 でも私は痛みをこらえ、言った。「河原で、瓦割り。だけど板なだけに、痛い」
「…………」旭川さんは、あんぐり口を開けていた。
「旭川さん?」
「……君は天才かもしれない」ぽつり、と彼は言った。