片割れ (8)
a pair

 ジグソーパズルを始めてから、次第に有里香ありかはいつもの有里香に戻ってきた。楽しそうに、パズルの箱に描かれた絵柄とピースを見比べながら、並べている。でもその頭の中はきっと、失踪した家族のことでいっぱいなのだと思う。
 僕は有里香と一緒にいることに決めた。男女として、有里香と付き合うということだ。とりあえず今夜はこの部屋に泊まることにした。その先のことは分からない。でも今は、有里香の抱えた寂しさを少しでも癒すために、僕はそばにいてやることしかできない。

 パズルの絵柄はガウディのサグラダ・ファミリア教会だった。五千ピースという巨大なパズルの絵柄としては、十分の迫力を持った建物だ。
 パズルはまだ三分の一も完成していない。しかしこのパズルが完成したところで、出来上がるのは、現在なお建設中である、未完成の教会なのだ。そういう意味ではこのパズルはすこし不毛なように思える。僕たちがパズルを完成させたとしても、サグラダ・ファミリアは完成しない。
「どうしてサグラダ・ファミリアなの?」
 と僕は訊ねてみる。だが有里香は、
「綺麗だから」
 と答える。僕はそのあまりのシンプルさに吹き出しそうになる。
 僕はシンプルなものが好きだ。複雑なものは、分かりにくいから、僕の手には負えない。有里香の思考は常にシンプルなのだ。だが悪い意味での単純さではない。彼女はあえてシンプルな行動原理を選ぶことによって、生きていくための複雑な問題を簡単化しているのだ。そんな彼女の内面はとても複雑なんだと思う。だが僕にはそれを計り知ることは出来ない。

「もうひとりのあたしは、今何をしてるのかな」
 突然、有里香は言う。僕はその内容にすこし驚く。
「もうひとりの?」
「うん。いつか、ちょっと話したじゃない。《片割れ》のこと。覚えてる?」
「覚えてるよ……」
 僕はそれを思い出す。あのとき有里香は、テレビで見たという《片割れ》の話題を持ち出した。世界が《片割れ》の存在を受け入れたのは、きっとあのあたりからだ。以来、テレビや新聞で《片割れ》という言葉を目にしない日は滅多にない。
「この世界のどこかには、もうひとりのあたしがいるんだよね」
「うん……正しくは、《この世界》というより《もうひとつの世界》かな」
「もうひとつの世界? 世界はもうひとつあるの?」
「どうやら、そうみたいだよ。この世界とそっくりの、もうひとつの世界があるんだよ。僕たちの片割れは、そこに住んでる」
 そのとき、僕は《片割れ占い》のことを思い出す。図書館のコンピュータで見た、子供だましの占いだ。
「あとで、やってみる? 片割れ占い」
 占いと聞いて、有里香の目の色が変わる。やっぱり有里香も女の子なんだなと思うと僕はなぜか安心する。
「なに、それ。どんな占い?」
「インターネットのサイトだよ。自分の片割れが、どういう人で、どこで何をしてるのか、みたいなことを占ってくれるんだ」
「わ。面白そうだねっ。でもそれって、当たるのかな」
「どうかな……。僕の場合は、そんなに外れてはいなかったけど」
 大体、生年月日や血液型で、どうして片割れのことが分かるのだろうか。夢のない僕は、あんなのは所詮子供だましだと思ってしまう。でも女の子はきっとそんな正確さを望んではいない。占いの結果に一喜一憂さえできればそれでいいのだ。僕もそういう楽しみ方が出来ればもう少し面白かったのかもしれないが。

「え……?」
 有里香は僕の言葉に少し遅れて、疑問の声を漏らす。
「今、なんて言ったの?」
「何って……『僕の場合はそんなに外れてはいなかった』って言ったんだけど」
「まさか、きみ……片割れに会ったことがあるの?」
「あるよ」
「ええー……。なによそれ……。ええー……」
 有里香はちょっとうなだれるようにしてみせる。
「そういう重要なことは、もっとはやく言ってよう……」
「え、ああ。ごめんなさい」
 僕はつい謝ってしまう。でも片割れに会ったことが有里香にとってそんなに重要な出来事だったとは、思いもしなかったのだ。もうひとりの僕に出会い、片割れの存在を知ったときも、僕はそれがなにか特別なことなのだとは思うことが出来なかった。彼はそこにいて当たり前の存在だった。別に変わったことは何もなかったのだ。
「で、どんな感じだったの?」
 興味津々、といった目で僕を見つめる有里香。
 僕は、もうひとりの僕との会話を思い出す。度重なる《片割れ》との接触の末、僕が得たものは―――。
「寂しい感じ、かな。片割れなんかに会っても、寂しくなるだけだよ」
 へえ、と有里香は目を丸くする。
「そうなんだ。ちょっと意外だな」
「自分の片割れに会ってみたいと思う?」
 うんうん、と首を縦に振る有里香。
「会いたいよ。片割れに会えれば……きっと全部解決するんだよ。あたしがあたしとしてうまくいかないのは、あたしが欠けてるからなんだよ。足りない何かは、全部、片割れが持っているんだよ……」

「多分、有里香が想像しているのと、少し違うと思うよ」
「そう、なの……?」微妙な表情の有里香。
「僕が思うにね、」僕は、言う。「僕は片割れなんかには会っちゃいけなかったんだ」
「どうして?」
「すべての人間の共通の目的は『自分の片割れを見つけること』だ、って有里香は言ってたよね」
「うん……」
「たぶんね、それはあってるんだよ。あってるからこそ、片割れなんかを見つけるべきじゃないんだ」僕は言葉に詰まる。言ってしまうと、その言葉に呪われてしまうような気がした。でも有里香の僕を見つめる目は、その言葉の先を望んでいた。「最終目的なんて、果たされちゃいけないんだ。一番最後の目的を達成してしまったら、その後はどうすればいいと思う? 有里香、僕はね……片割れに会ってしまったよ。もうひとりの自分を見つけてしまったんだ。今になって考えてみれば、僕が今までやりたかったこと、欲しかったもの、生きていこうという意志、そういったものは、全部、《片割れ探し》の代用品だったんだ。普通に生きていれば、本来は自分の片割れなんか見つからない。だからこそ、手に入れたものに満足出来ずに、次の目標を見つけていけるんだ。生きていくっていうことは、そういうことだろう?だけど、なにかの歪みで、片割れが見つかってしまったら、もう、次の探し物をする必要なんてないんだよ。それが全部なんだ。有里香には、きっと、分からないかもしれないね……。空っぽになってしまうんだよ。片割れに出会う前は、こんな気持ちになったことはなかった。でもね、僕にはもう、何も欲しいものなんてない。何かをやりたいなんて思わない」
 僕は有里香の方を見る。有里香の目には涙が溜まっていた。今にもこぼれそうだった。僕は目を背ける。
「そんなの、寂しすぎるよ……」ほとんど泣きそうな声で。
 だが僕は、首を横に振る。
「確かに今は、少し寂しいよ。でも、こんな感情も、そのうちすぐに無くなる」
「違う、ちがう!」有里香は両手に顔を伏せた。肩が小刻みに震えている。泣いているんだ。泣かせたのは、僕。
「何が違う?」
「きみじゃないよ。寂しいのは、あたしだよ……! もう何もいらないなんて、言わないでよ。あたしは、きみがいいんだよ。きみが好きなんだよ! 私はきみじゃなきゃ、だめなんだよ……」
「有里香……」僕は何も言えなくなる。有里香にかけてあげられるような言葉を、僕はもう持っていない。
「ねえ、好きだよ」伏せていた顔を起こす。目から流れ落ちる涙の線。有里香は僕の胸に、涙に濡れた顔をうずめる。
「好き。すき……好き」かすれた声で、有里香は、『好き』を繰り返す。何度も、何度も。
 僕は、腕の中にいる有里香に、そっと腕を回して、彼女の重みを受け止めるように抱きしめる。すると、僕の背中にまわった有里香の腕が、より強く、僕をぎゅっと抱き返した。彼女の弱々しい力の、精一杯の強さで。
「有里香」僕は彼女の名前を呼ぶ。「有里香が僕を求めるのは、僕が有里香の《片割れの代用品だからなんだよ。有里香が本当に欲しいのは、僕じゃない。片割れなんだ。世界のどこかにいる、もうひとりの有里香なんだ。人が誰かを好きになってしまうのは、《片割れ》の代わりを探しているからなんだよ……。パズルと同じだよ。正解に似たピースで代用しているだけなんだ。有里香も、自分の片割れに会えば分かるよ。本当に分かりあえる相手なんて、この世にはいないんだ。お互いの気持ちを、本当の意味で分かりあえるのは、《もうひとりの自分》だけなんだ。恋人と抱き合って、分かりあえた気分になるのは、全部偽物なんだよ。そんな気がしているだけだ。勘違いなんだ。しかも、そんなうわべだけの満足すらも、僕はもう得られないんだよ。ぜんぶ偽物だってことを、知ってしまったから。《片割れ》を知っては、いけなかったんだ。僕はもう、元には戻れない。もうひとりの僕と初めて会話を交わしたとき、僕はもう、終わっていたんだ。これ以上生きていても、有里香を苦しませるだけだ。……有里香、僕はね、」
「もういいよ」言いかけたところで、腕の中の有里香は力無い声を出す。「それ以上、言わなくても、いいよ」

「あたしは、確かにきみの気持ちなんて分からない。だけど、だからこそこんなにも愛おしいんじゃないかな? あたしは、完全なものなんてならなくてもいい。本物の片割れなんていらないよ。きみが私の片割れじゃなくていいの。偽物でもいい……偽物でいいんだよ。それが、きみなら」

 何故だろう。そんなはずはないのに、僕は無性に有里香のことが欲しくなって、キスをした。ほとんど奪うようにして。一瞬こわばった有里香の肩も、すぐに力が抜けていった。僕の唇に伝わる彼女の涙は、熱を帯びていた。唇を離すと有里香は、座っていたベッドに崩れるように横たわった。
「ありがとう……」と有里香は何故か礼を言った。どういう意味かはよく分からなかった。「あたしのことなんか、好きじゃないのにね。やっぱり、きみは、なにもかもなくしてしまったわけじゃないよ。今のキスこそが、片割れを見つけてしまってもまだ残ってる、きみのほんとうの優しさなんだよ」