片割れ (4)
a pair

 僕と、もうひとりの僕。同じ顔をもった人間がふたり、図書館のロビーのソファに並んで腰掛けている。しかもそのふたりともがまっすぐ前、その遠くを見たまま黙っていた。僕らの視線の先にはガラスの扉があって、その向こうには小さく空があった。いつの間にか雨は止み、灰色の雲の隙間から青空が顔を覗かせている。
 僕たちは座ってから何分もの間、一言も言葉を交わさなかった。僕には、もうひとりの僕に訊きたいことがあったはずだった。どこに住んでいるかとか、何をしているのか、とか。でもそんな疑問のすべてが、意味を持たない虚ろなものに思えて仕方がなかった。実際にもうひとりの僕との邂逅を果たしてしまうと、僕たちの間には、外の世界とは別の閉じたふたりだけの世界がつくられて、僕たちはその中だけで静かに存在してしまうのだ。その閉じた世界の中では、外の世界のものの大半は意味を失ってしまう。それは奇妙な感覚だった。僕たちは図書館にいるようでいて、どこにも存在しない。僕たちは互いに自分の中にいるもうひとりの自分に向き合っているだけで、閉じたメビウスの輪のように、世界を必要とせずにそれだけで完結しようとしていた。

「前に会ったのはいつだったかな」と僕はなんとなく言う。
「駅で目があったのは、先月だったね」
「うん。じゃあ一ヶ月ぶりかな」
「そうだね」
「その前は?」
「その前って……あのときが初めてじゃなかったの?」
「僕はもっと前に会っている気がするよ。それも、何度も」
「そう……。そういわれてみれば、そうなのかもしれない。君とは、初めて会った気がしないよ」
「実を言うと、君のことを最近までずっと忘れていたんだ。一ヶ月前、駅で会ったとき、確かに僕は君のことを確かめたはずなのに、それ以来、しばらくすっかりと君に会ったことを忘れていたんだ。どうしてだろう?」
「さあ、どうしてだろうね。それは僕にも分からないよ。でも確かに、僕も、君のことを忘れていたよ。ただ、僕たちがこんなふうに、互いに認識し合うのは、物理的距離よりも、精神的距離の影響を強く受けているような気がするんだ」
「どうしてそう思うの?」
「なんとなく、だよ。僕たちはこんなにも近くにいたのに、今まで互いに気づかないでいたじゃないか。あの駅での出会いが初めてじゃないにしても、僕はあのとき、君を捜していたんだよ。君に会いたいと思っていた」
「僕のことを知らなかったのに、か?」
「そうだよ。僕は君がいる事なんて、知らなかった。でも、もうひとりの僕がもし存在するっていうのなら、是非会ってみたいと思っていたんだ」
「うん……。そうだね。僕も、そう思ってたよ」と僕は言う。
「そうだろう。よく分からないけど、多分僕たちが生きている世界はお互いに別なんだと思う。なんて言ったらいいのかな……例えば、僕たちはおそらく近くに住んでいるのだろう。君が住んでいる町は僕の世界にもあるし、僕の住んでいる町も君の世界にはある。だけどそれらは別のものなんだ。僕の世界にある、君の町には、君は住んでいない。同じように、君の世界には、僕は住んでいない。世界は、僕の世界と、君の世界との二つがあって、それはお互いに交わらない別々のものなんだ」
「面白い仮説だね。それで?」
「二つの世界には距離があって、多分、僕たちがお互いのことを思い出せたのは、その二つの世界が近づいた証拠なんだと思う。そしてその二つの世界が交わったときだけ、僕たちはこうして、世界を共有することが出来るんじゃないかな」
 と、もうひとりの僕は言った。彼の言ったことは突拍子もなく、誰がきいても絵空事にしか聞こえなかっただろう―――普通ならば。でも僕には、そのことが真実だと思えて仕方がなかった。彼の考えていたことは僕の考えていたことでもあるし、彼の言おうとしていることは自然と理解できた。理屈は分からないけど、理解は出来る。どういうことかは分からない。ただ、世界は、そうなっているのだ

「ただ、こうして君と話しているのは、何て言えばいいのか、妙な気分だよ。不自然さをまったく感じられないというところに、逆に違和感があるというか……」
 もうひとりの僕との会話は、いままでの他人との会話とは、まったく種類が異なる。本来の会話というものは、主観と客観、客観と主観の間で行われる。かつての僕と貴子〈たかこ〉がそうであったように、どんなに分かりあえる相手とだって、相手のことを本当に理解する事なんてできない。それは、僕という《主観》が、僕から見た貴子の《客観》としか会話をすることができないからだ。
 しかし、僕ともうひとりの僕との間で交わされる会話は、それとは違う。僕たちは、《主観》と《主観》で話し合うことが出来るなぜなら僕たちは同一人物だからだ。互いの心が読める、という表現はあまり適切ではないけど、僕たちは、他人である恋人同士の会話よりも、真に分かり合うことが出来るのだ。
 彼が言う違和感というのは、僕たちがあまりに分かり合えすぎるという点に生じている。その原因は、彼も、僕も、この十七年間、他人という《客観》としか接してこなかったからだ。僕らがこんな体験をするのは生まれて初めてだった。それ故に違和感を感じているだけなのだ。しかし、そんな違和感なんてすぐに消えてしまうだろう、ということは彼も言っている。それは僕たちの接触が、他人との接触よりも、比べものにならないほど親和性が高いからだ。
「……そう思わないかい?」
「うん……。僕たちはこんなことをしていて、いいんだろうか」
 それは、このまま僕たち同士があまりに同調しすぎてしまうことへの疑問。僕たちが感じているその疑問には、根拠なんて無い。それは人間的・動物的本能から生じているのかもしれない。あまりにうまくいきすぎることには、歯止めがかかるように、生物はできているのだ。僕たちが行っている主観同士の会話は、例えるならば《独り言》のようなものだった。ふたりでいるようでいて、ここには一人の人間しかいない。僕たちの世界が閉じていくような感覚外の世界から孤立していくような感覚で僕たちは満たされているのだ。僕たちは、こんなことをしていいのだろうか? それはまるで、世界のルールを破っているような気分だった。