片割れ (3)
a pair

 毎日雨ばかり降っている。
 雨の日の電車はとても憂鬱だ。片手で傘をさしながらもう片方の手で自転車をあやつり、駅に着けば、半分くらい濡れてしまった体のまま、押し寿司の米のようになって満員電車の中につぶされる。雨の日は普段よりも乗客が多い。濡れた傘が僕のズボンにまとわりつき、雨がしみこんで僕の足を不快にぬらすのにも、抵抗することができないほどに。
 湿気でむせかえる車内で、背広や制服の壁に挟まれてぎゅうぎゅうにつぶされていると、駅名を告げるアナウンスが流れ、僕は電車の外に人混みのコロイドになってはき出される。
 雨は強くなるばかりだった。僕は傘をさし、水たまりと車の泥はねをよけながら学校へ向かう。

 学校の廊下は連日の雨のせいで、溶けかかった氷みたいになっている。つるつる滑るので次々と人が転ぶ。滑って遊んでいる生徒がいる。それを怒鳴りながらモップをかける教師がいる。教室の前の廊下で有里香〈ありか〉と目が合うと、
「おはよう」
 と、にこりと笑いながら彼女は言った。僕も笑い返して、おはよう、という。有里香はとてもいい子だ。こんな彼女を持った男は幸せなのかもしれない。だがそれは僕ではないのだ。どうしてかは分からないが、きっとそのはずだ。

 学校が終わると、雨はやんでいた。僕は駅まで歩く。横には自転車を引く有里香。
 僕は水たまりを踏んでしまった。はねた水が靴の中に入ってくる。それを見て有里香はくすくすと笑う。
「空ばかり見て歩いてるからだよ」
「空なんて、見てたかな」
「いつも空を見てるじゃない。空に、なにかあるの?」
 と、有里香は訊ねる。僕はもういちど空を見上げる。空には真っ黒な雲が太陽の蓋をしているだけで、何も面白いことはない。
 空。
 僕はいつかの貴子〈たかこ〉の話を思い出した。あの新聞記事に書いてあったことだ。
 空の色が変わって光る。
 そうだ。あの現象を、僕も、体験していたのだ。それを僕は、どういうわけか記憶の遠い隅に追いやっていたのだ。簡単に忘れてしまう、とても些細な出来事だったのだ。
「この世界にもうひとりの自分がいると思う?」
 思い出した瞬間、その言葉は自ら意志を持って僕の口から飛び出していた。僕は驚いた。そんなことを言おうとは思ってなかったのだ。
「もうひとりの自分?」
 有里香は聞き返したが、僕はすこし動揺していて、何も言えなかった。しかし有里香が続けた言葉は、意外なものだった。
「それ、あたしもテレビで見たよ。不思議だよね」
「テレビで?」
 僕も思わず聞き返してしまった。
「そうだよ。あれ? テレビで見たんじゃないの?」
「僕はちょっと話を聞いただけだから、あまり詳しくないんだ」
 そうなんだ、と有里香。
「もうひとりの自分……みんな《片割れ》って呼んでるみたいだけど、今ちょっと流行ってるんだよ。なんだかロマンチックじゃない」
「有里香は信じてるの?」
 僕が訊ねると、有里香は少し考えてから、
「そうだね。性別の違う片割れもいるらしいし、恋人がもし自分の片割れだったら素敵だな、って思うよ」
「そんなものかな」
 僕の素っ気ない言葉に、有里香はうなずく。
「ひとはみんな自分の片割れを探しているんだよ」

   *

 そしてその日もまた雨だった。僕はその日、本を返すために駅前の図書館に向かった。受付で本を返してしまったあと、僕は次に借りる本のあてを探しあぐねていた。
 何気なく、検索用コンピュータの置いてある机に向かう。この図書館のコンピュータは、蔵書の検索だけでなくインターネットもできるようになっているので、暇をつぶすのには最適なのだ。
 画面を見ると、誰かのいたずらなのか、デスクトップにはとあるウェブサイトへのショートカットが作られていた。

   【片割れ占い】 〜あなたの「片割れ」探します〜

 僕は息をのむ。僕の知らないうちに、世界は変化している。片割れの存在を受け入れてしまったこの世界に、僕はいつの間に迷い込んだのだろう。僕はそれをクリックすると、ピンク色の背景のかわいらしいページが表示される。いかにも占い好きの女の子受けを狙ったようなデザインのホームページだった。飛び出した安っぽい広告のポップアップを閉じる。

   あなたの『片割れ』がどんな人で、今どこにいるのかを占えるよ! 下のフォームに入力したら、『送信』ボタンを押してね。(送信ボタンは一度だけクリックしてね)

 入力を促されたフォームの項目は、『名前』『性別』『生年月日』『血液型』の四つだった。たったこれだけで、もうひとりの自分がどこにいるのかなんて分かるはずがない。僕は駅で見かけた僕の《片割れ》のことを思い出す。だが子供だましとしてはこれで十分なのかもしれない。実際、はじめは馬鹿にした気分だったのに、フォームを送信して結果を待っている今、僕はなんだか結果が楽しみになってきている。こういうのは有里香も好きだろうか、と僕は思う。

   あなたの『片割れ』は……

   あなたとそっくりの容姿をもっています。
   あなたと同じように、あなたを探しています。
   あなたの欲しているものを、欲しています。

   好きなものはアロエヨーグルトです。
   苦手なものはワカメです。
   好奇心旺盛で、珍しいものには目がありません。
   同級生の異性に片思いをしています。
   スポーツが得意です。
   ラッキーカラーは黒です。
   住んでいる場所は、あまり遠くではありません。
   もしかしたら、今、あなたのすぐ近くにいるかもしれません。

 他にも『片割れとの相性』や『好みのタイプ』など、くだらない項目が延々と表示されるのには笑ってしまう。だが気になったのは、『住んでいる場所は、あまり遠くではありません』というところだ。駅で出会ったあの彼はどこに住んで、どういう生活をしているのだろうか。僕の《片割れ》は、一体、どういう人間なんだろうか。
 ディスプレイのブラウン管に、僕の顔が映り込んでいる。あのときの彼は、確かに、僕と同じ顔をしていた。服を取り替えてしまえば、二人が入れ替わって生活しても、気づかれないかもしれない。それほど僕たちの容姿は酷似していた。しかし僕は不安になってきた。あのとき、あそこで見た僕の《片割れ》は、本当にそこにいたのだろうか? 見間違えか、それとも夢か―――本当のところ《片割れ》なんてものは宇宙人や幽霊と同じで、人間の勘違いが作り出した幻なんじゃないだろうか? と僕は疑ってみる。しかし、僕は、それを疑う気持ちよりもはるかに強く、それはもう確信に近いくらい、あのとき出会った《片割れ》が本物であることを強く信じてしまっている。疑えば疑うほど、僕の確信は強くなっていくだけだった。

 そのとき、ブラウン管に、僕の顔がもう一つ並んだ。僕よりも少し後ろから、ブラウン管越しに僕の顔を見ている、僕と、同じ、顔。僕は振り返る。やはり僕は驚かなかった。《片割れ》である彼がそこにいることが、自然だと感じてしまう。理由は分からない。僕が今日ここで生きていることを疑問に思わないのと同じくらい、彼の存在に違和感を感じることができない。
「また会ったね」
 そう言ったのは僕だったのだろうか、それとも彼だったのだろうか。他人と話をしているときには感じることの出来ない、不思議な感覚がそこにはあった。
「そうだね」
「少し話そうか」
「うん。僕もそう思ってたところだよ」
「だろうね。でも―――」
 周りを見渡して、
「ここで長話するわけにはいかないな」
「じゃあ、一階のロビーに行こう」
「それがいい。僕もそう思ってたところだよ」
「だろうね」